早良街道をループ橋に向けてひたすら南下し、曲渕隧道を抜けると
右側に曲渕ダムの貯水池が目に飛び込んできます。
公民館や小学校に通じる旧道と新道の国道とに分かれている二股のところ、
八丁川がダムに流れ込む河口の部分に
ともすれば、そこが橋であると気がつかないうちに通り過ぎてしまうような
短い橋が旧道と新道それぞれに架かっています。
新道が曲渕大橋、旧道が曲渕橋と名付けられています。
いや、正確に言うと、旧道の方は橋の銘板には辛うじて「曲渕」と掘られているのが
読めるのですが、その続きがどうしても判読できませんでした。
だから、新道の大橋と区別する意味でも便宜的に曲渕橋と勝手に呼ぶことにします。
(正確な情報をお持ちの方、こちらまでお知らせください)
ずいぶん古い橋なのですね。
この新道・旧道2本の橋のすぐ横には、急な階段があり、その上り詰めた場所には
通称・山神社(正確には大山祗神社)が鎮座しています。
この神社がある山の頂上は、かつて曲淵城があった場所です。
城主は曲淵河内守。
掲示板によると、
戦国時代、鍬作りの鍛冶屋・甚五兵衛が大出世をして、城主となり
曲淵河内守と名乗ったとのこと。
高祖城・原田氏に属し、武威を誇っていたとあります。
支配する範囲は七隈や荒江まで及んでいたそうです。
天正15(1587)年、高祖城落城とともに曲淵氏も滅びたんですね。
今は城のあった形跡は殆ど見られません。
掲示板には、山神社境内の裏に堀切(地面を掘って作った水路)らしい跡が
あると書いてありますが、見てもよく分かりませんでした。
また、橋の付近には、他にも城主の墓や曲渕五重石塔があり、歴史を感じる郷です。
通り過ぎずに、曲渕散策してみてはいかがでしょう。
The BRIDGE~早良の橋
早良区を貫く室見川とその支流には、たくさんの橋が架けられています。
私達にとって無くてはならない橋。私達は、それらの橋を渡り、日々暮らしています。
橋には、私達人間と同じように、それぞれに名前があり、橋が架けられた風景の裏側には物語や歴史が見え隠れしています。
そのような早良の橋をこのカテゴリーで紹介したいと思います。